2016年6月27日

興味を持って欲しいと思う気持ち

人の本質とは何だろう?
と考えていて、ふと今日思ったこと

人の本質とはプライドなのではないかと思った。

プライドといってもいろいろあるが、自分に興味を持って欲しい
というようなことではないか。
共感などという言葉が出回る昨今ではあるが、それは興味を持って欲しいということに対しての本質の1つに過ぎないのではないかと思う。

もちろん、誰にでも良いわけではない
しかし誰かに興味を持って欲しいという気持ちが、少なからず人の心の底の重要な何かなのだと思う。

興味を持ってもらうためには


  • 仕事で成果を出す(仕事で関わる人や社会から興味を持って欲しい
  • 家族のために動く(家族から興味を持って欲しい
  • 金を持つ(金の力で興味を惹きつける
  • 何らかの趣味を持つ(共感という双方向の興味


というようなことが多分必要なのだと思う
しかし、それらは、まだまだ方法論で、本質ではないのだと思う

恋もそうだが、自分に興味のある人に興味を示すのは
きっかけとしては手っ取り早い
だからこそ自分の興味のある人に対しては
ある種の恋のように興味を惹きつける努力が必要なのだと思う。

しかし、くせ者は冒頭の

もちろん、誰にでも良いわけではない

という部分で、これがいろんな邪魔をしてくる

自分が興味を持った人と、何らかの差異が大きく開いている場合
・自分から歩み寄りたい
という気持ちが優位に働くことが多い

自分がそれほど興味を持たない人の場合は、差異が大きく開いても
・自分から歩み寄るのは嫌だ
という部分が少なからず生じるのだと思う

このバランス感覚は
必ずしも10:0ではない
8:2のこともあれば1:9のこともある
少しは興味あるけど、アクションするほどでもない
自分を投げ出してでも、興味の対象に振り向いて欲しいなど様々だ

興味があるよという最初のアクションをした後のはなしで
逆に興味を示される側は、興味を向けてくる人に
別の価値観で興味の対象が存在するのかを吟味する

合致すれば、何かが始まるだろうし、合致しなければ進展はない

軽快なトークで、自分への興味となるポイントを誘導するのも
興味を示す側の手かもしれない

また、ロケーションや偶然と言った要素は、それらを惑わし
大きく左右することにもなるだろうとも思う。

職場の人間関係、恋、何かしらのグループの人間関係といったところで活かし
自分の存在価値を作っていく、人として生きていく本質

まず、自分から興味を持ち、きっかけを作る
丸腰で望んではならない、相手も興味を持つテーマを持って望む
興味を自分に惹きつける
偶然や、ロケーションの効果を最大限利用する

何かの会話の際にでてくる、興味ないという言葉は、人間関係のフィルタリングで
まだ人間関係ができていない人への探りとしては良いテーマであると思う

誰にでも興味を持ってもらえれば良いわけではない
だけど、自分の興味のある人に興味を持って欲しい
という気持ちが、人間関係を作り上げていくのではないだろうか

2015年9月3日

使いづらいSNSと自分ルールの必要性

あまり今まで考えてこなかったけれど
当たり前のことなのですが
SNSが使いづらいなーと個人的に思う

例えば
・安保の話し
・原発の話し
・安部さんや山本太郎や自民党の話し
・オリンピックエンブレムの話し
・韓国の話し

この手の話しは自分のウォールに流れてはくるが
あたりまえだけど
どちらにも寄った意見が流れてくる
自分が発言すればどちら側の人も見るわけで角が立つ

確固たる思想を自分で有していれば問題ない気もするが
想いはあったとしても角が立つことは否めない
かといって戦うほどに強い想いでもないし
論争をしたいわけでもない(したとしても多分折り合わないこともわかっている)

敢えてその手の話題を避けていると
それはそれで、避けていることが見えるので
ならいっそ”SNSを使っていない人”として振るまった方が楽である
なので、別のことでも発言しにくくなり、従って発言できなくなる

そう感じている人は多いのではないだろうか

なのでその手の角が立たないように気をつけていると
・自分の日常の話し(何を食べたか、何を見たか、自分のこども、遊んだ内容)という単純な事実
・楽しかったWEBサイトやゲーム、占い、動画、アイドルなどのエンターテインメントの話し
・自分の会社でやっている取り組みの紹介
・参考になる最新情報(ニュースや技術)
・巷での流行の話し(他人の価値観への驚き)
・趣味(アウトドアや、建築などメディアの記事)の投稿
・チャット利用
・イベントを立てる
・グループ機能としてMLの代わりに使う

そのくらいしかない

時折発生する
・拡散して下さい

はちょっとしたイレギュラー要素

どういった使い方も自由ではあるが
自分なりの方針が必要であるということなのだと思う

自由に生きる、普通に生きるというのは難しい
稲中でもそういっていたが
自由であっても最低限のルールの上に成り立っている
そして、その最低限のルールは、自分自身の中にしか設けられない

しかし、中途半端なルール化は問題を複雑にする

いっそ、広がるのではなく、つきあう友達を限定することがネットの時代の生き方なのかも知れない

2014年9月24日

制作するだけでは成立しない

普段仕事をしていると
プラットフォームを作りたいということと
プロモーションで、デジタルを使いたいというオーダーが混在されていることに気づく
この認識の違いを明確に持ち
早急に世の中の担当者に改めて頂きたいというのが
本記事の趣旨である。

コーポレートサイトを作りたい
キャンペーンサイトを作りたい
ECサイトを作りたい
アプリを作りたい
囲い込みのコミュニティが作りたい

オーダーとしてはそんなオーダーなのだが
これらは必用な知識の質が異なる